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地楡~変化~(第二部)


 結局、瑞穂と雅衣は授業が終わっても戻ってこなかった。二人の友達が保健室に行ったようだったが、怜はそちらの方をあまり気に掛けていなかった。保険医に聞けば瑞穂たちが保健室にいなかったことはすぐにばれるだろうが、それをわざわざ教師に報告しに行くような生徒もいないだろう。
 それよりも怜は目の前の問題に目を向けていた。
「さて、どうしたものか……」
 すでに人影のまばらになった教室で、ため息と共に彼は独白した。だが、図《はか》らずもそれに答える声があった。
「どちらのことだ?」
「……どちら?」
 唐突に掛けられた声だったが、怜は特におどろくでもなく、わずかな視線だけを声の主、義郎に投げかけて聞き返した。
「校門の所にいたというヤツと、一ノ瀬さんのどちらか、ということだ」
「そういうことか。とりあえず、一ノ瀬に対して俺がリアクションを起こすことはないな」
「は……? それは、ちょっと無責任じゃないか?」
「おいおい、言葉は正しく使えよ。なぜ、俺が一ノ瀬に対して責任を持たなきゃいけないんだ? たとえ一ノ瀬が騒ぎ立てて病院送りになったとしても、俺には全く関係がない」
 あっさりと言い放った怜を義郎は非難するでもなく、逆に不思議そうな顔で見返し、聞き返した。
「……どうしたんだ? お前にしてはやけに冷たい物言いだな」
「俺はいつもこんな感じだ」
「そうか? 俺の経験から言うと、お前なら頼まれなくてもお節介を焼きそうな気がするんだが?」
 つきあいの長い義郎にそういわれ、怜は決まり悪そうに目をそらして、頭をかいた。
「……まあ、さっきの言葉は少しきつすぎかとは思うが、結局は自分で何とかするしかない、ということだ。見えることを認めるか、認めず意識から追い払うか、それは一ノ瀬が決めることだ。それを決める前に俺が何かすることは彼女のためになるとは思えない。――もし本当に病院送りになりそうだったら、その時なんとかしてやるさ」
 それを聞いて義郎は少し考えていたが、しばらくして慎重に口を開いた。
「――怜、たしか以前、ああいう力は生まれつきがほとんどで、後から身に付くことは少ない、と言っていたよな?」
「ああ。もしくはもともとあったものが後から顕在化するか、だな」
「そして、それにはほとんどの場合、きっかけがあるとも」
「……何が言いたい?」
 そうは言っていても、怜にはほとんど義郎の言いたいことがわかっているのだろう。困ったような表情で口元を曲げ、横目で義郎を見ている。
「そのきっかけがお前じゃないか、ということだよ。俺の知る限り、一ノ瀬の周りできっかけになりそうなものはお前くらいだ。彼女が大きな事故にあったとか、不思議な体験をした、という話も聞かない」
「……お前が知らないだけかもな」
 やはり予想通りの台詞だったのだろう、怜は苦い表情でそんなことを言うが、それもあっさりと否定された。
「俺の情報収集能力をなめるなよ? 聞かれればこのクラス全員の彼氏、彼女の有無、その相手まで教えてやるぞ」
「いや、別に知りたいとも思わんが……嫌な人間だな、お前。そんな情報を集めるなよ」
「ほっとけ。ただ俺の能力の一例として示しただけだ」
 あきれたように言う怜だったが、義郎は全く気にした様子もなく言葉を続けた。
「ま、そんなわけで、お前に責任のある可能性も否定できないわけだ」
 怜は話を逸らそうとしたようだが、つきあいの長い義郎に通じるものではない。義郎はにんまりと笑って、そう言い切った。
 しばらくの間むっつりと黙っていた怜だったが、やがて渋々と言った感じで口を開いた。
「……解った、解った。機会があればフォローしておくよ」
 仕方ない、とでも言うように軽く手を振ってそういうと、その話は終わりだと言わんばかりに机をパン、と叩いて立ち上がる。
「ま、それで良しとするか。そう言った以上、お前ならそれなりにフォローするだろうし」
 笑いながら立ち上がった義郎を一瞥し、舌打ちをした怜はぶっきらぼうに言った。
「行くぞ」
「もう一つのほうか?」
「というより、俺は元々そっちのことしか考えてなかったんだがなぁ?」
 皮肉っぽく言う怜だが、義郎の方は全く堪《こた》えた様子もなく笑いながら言った。
「そうか、じゃあ感謝しろよ、忘れていたことを思い出させてやったんだから」
「忘れていたんじゃなくて、すでに解決済みだったんだ、俺の中ではな」
「ふむ、では俺がその解決法の甘さを指摘してやったわけだ」
「……もーいい、時間の無駄だ」
 怜はあきれたように言って首を振ると、机の横に立てかけてあった細長い包みを手に取ると、教室のドアへ向かって歩き出した。
「何処だ?」
「体育館裏に行ったようだ。ちょうどこの時間だと人も居ないだろう」
 義郎は窓から外を見るが、そっち方面の感覚はほぼ皆無な彼には、当然のことながらなにも見えない。だがすぐに、義郎はすでに教室から出た怜の後を追って歩き出した。


 一般的に体育館裏というと、暗くてジメジメした場所を思い浮かべるだろう。だが、この学校の体育館裏はあまり一般的ではなかった。日が良く当たるため明るく、地面には一面に芝生が生え揃っていた。いくつかベンチが置かれ、広葉樹も植えられている。これで花壇と噴水でもあれば立派な公園である。
 最も一般的なところと言えば、人が居ないところだろう。とはいえ、側にプールがあるため、夏場にはその唯一ともいえる一般的なところさえもなくなってしまうのだが。
 しかし、最近は少し汗ばむようになってきたとはいえ、プールにはまだ早い時期である。あたりは閑散として、怜と義郎の二人以外の姿は見えない。
 怜は校舎から陰になって見えないところまで来ると、軽くてを上げて義郎を制し、立ち止まった。
「居るのか?」
「居る。たいした物じゃないから、別に放っておいても良いのだが……場所が学校だからな。一応祓っておこう」
 二人の立っている場所から二メートルほど離れた場所にそれはいた。彼らに背を向けるようにして、長い髪の女の子がぼんやりと浮かんでいる。
 義郎には全く見えないのだが、何か気配のようなものは感じるのか、そちらの方を眺めながら、怜に向かって疑問を口にした。
「一ノ瀬さんがいるから、ではないのか? 今までお前が気づかなかったと言うのはちょっと無理があるだろう?」
「そのうち祓おうとは思っていたんだがな。一ノ瀬のことは、ただのきっかけにすぎない」
「やっぱり、関係してるじゃないか」
 怜は苦笑してそれには答えず、教室から持ってきた細長い布包みの中から一本の棒を取り出し、それを地面に立てた。それの表面には小さな文字がいくつも書かれ、何かの模様を形成しているようにも見える。不思議なことにそれは地中に突き刺さっているわけではないにも関わらず、怜が手を離しても倒れる様子はなかった。それに気を引かれたのか、女の子は振り返って二人の方を見た。
 それを確認すると、今度は学生服の内ポケットから、一枚の短冊状の紙と筆ペンを取り出し、なにやら複雑な模様を描き始めた。それを見て義郎が眉をひそめた。
「おい、大丈夫なのか、そんなにのんびりしていて?」
「簡単な結界を張ったからな。この程度の霊ならどこにも行けないさ」
「この程度というなら、早く祓ってしまえよ」
「まあ待て。札を使った方が楽なんだよ――っと、できた」
 怜は手を止め、筆ペンをしまった。その札は一見するとなかなか達筆なうえ、何やら不可思議で有り難《がた》そうな気もする。だが、紙は学校の印刷室から失敬してきたコピー用紙、しかもそれが数百円の筆ペンで書かれたということを知ってしまうと、有り難みなど一瞬で消え去ってしまうことだろう。
 だが、そんなことは効果には関係ないのだろうか、怜の右手から弾かれたそれは一直線に飛び、彼の正面2メートルほどの空間に静止した。
 怜は女の子を見つめて両手を軽く組み合わせ、印を結ぶ。そして語りかけるようになにか呟くと、それに答えるように、女の子の口が動いた。
 二人は互いに何か呟いていたが、やがて女の子が頷いたのを確認し、玲はその手をそっと彼女の方に差し出した。視線が玲の両手に注がれる。その瞬間、印を解いた手から光の固まりが飛び出し、空へ向かって上っていった。
 光が消えたとき、そこに女の子の姿はなく、代わりに黒い蟠《わだかま》りのような物が残っているだけだった。それを確認すると、怜はほっとしたように息を吐き、宙に浮かんだままになっていた符に片手を向けて言った。
「オン」
 瞬間、符は、すっと黒い蟠りに近づくと一瞬にして燃え上がり、それ共々灰さえ残さずに消えてしまった。
 それを見て、怜は満足したようにうなずくと、未だ立ったままだった棒を手に取った。それを見て、息を潜めていた義郎が軽く息を吐いて怜に声をかけた。
「終わりか?」
「ああ。所詮はただの不浄霊だからな」
「しかし、不浄霊とはいえ、女の子なんだろ? 無理矢理浄化、っていうか、追い払ってしまうのはかわいそうな気がするな」
「女と見れば見境なしか、おまえは……? 安心しろ、べつに無理矢理という訳じゃない。ちゃんと話を聞いて、説得したさ。そうすれば、あれくらいの物は道さえ示してやれば自分で成仏してくれる。あとは残った雑念みたいな物を消せばおしまいだ」
「そうか、ならいいんだが。見境ない訳じゃないが、やっぱりかわいそうな気がするからな」
「優しいのも結構だが、ほどほどにな。乗っ取られても知らんぞ?」
「んー、でも、おれにはお前という強い味方がいるし」
 それを聞いて、怜はあきれたようにため息をついた。
「あのなあ、変にひっついたら簡単には引き剥がせないぞ? 無理をすると、精神が壊れる可能性もある。お前が廃人になるのは勝手だが、俺に手間をかけさせるな」
「まあ、その時はその霊と仲良くやるさ」
「迷惑だ、やめろ」
 怜が即座に断定する。あまりにもきっぱりと切って捨てられた義郎は、腕を組んで苦笑する。
「しかし、いつも思うんだが、なんかこう……、おもしろみに欠けるよなぁ。もうちょっと派手にできないのか?」
 霊感とかそういった物がない義郎には、怜の動作と最後に符が燃え上がったのが見えただけだった。味気ないというのもわからないでもないが、少々不謹慎ともいえるだろう。案の定、怜は片方の眉を上げて無愛想に返答した。
「ほう、派手なのが見たいのか? それならそれなりの物が出たときに見に来るんだな。結構派手なのが見られるはずだぞ。……最も命の保証はしないが」
「……いいです、遠慮します。――命を懸けてまで見る物でもないだろうからな」
「それが懸命だな。君子、危うきに近寄らず、だ。どうせ見るなら、夏に打ち上げ花火を見るほうがよほど華やかで風情がある」
 意外に風流な怜は、ふっ、と鼻で笑い、道具を片付けて立ち去ろうとしたがその背中に義郎が声をかけた。
「ということは、残る問題は一つだな」
 怜はぴたり、と足を止めて振り返ると嫌そうに顔をしかめた。その顔を見て、義郎は不思議そうな顔をした。
「なあ、どうしてそこまで嫌がるんだ?」
 義郎は怜の事をお節介みたいに言っていたが、そこまでではないにしても、決して冷たいというわけでもない。それどころか――普段の様子からはあまり想像できないが――心底頼まれると嫌とは言えないような、お人好しとも言える一面を持っている。だからこそ義郎とも今まで付き合いが続いているのだ。
 にもかかわらず、今回のことについてはお節介どころか、むしろ積極的に関わり合いになるのをさけている。
 しばらくの間、躊躇していた怜だが、義郎に促《うなが》されてしぶしぶ口を開いた。


「――人の人生を背負う可能性があるんだ、憂鬱にもなるさ」
「そんな大げさな……」
 軽く笑いながら返した義郎だったが、怜はまじめな顔を崩さなかった。
「あのな、俺が何か言うとすれば、それは普通じゃない物が見えることを認めさせることになる。認めてしまえば今後、気のせいで済ますこともできないだろうし、見えなくなることもないだろう。
 つまり、一生それとつきあっていくことになる。それによって人生が変わる可能性だって否定できない。そのきっかけを俺が与えることになるんだ。もし、一ノ瀬が耐えられなかったら……と考えるとな」
「耐えられなかったら……?」
「ノイローゼになったり、精神病院送りになったり、酷いときには自殺することもある」
「可能性は高いのか?」
「一人の場合はかなりな。ああいうものは、いつもまともな人の形をしているわけではない。しかも、何かと語りかけてくるんだ。自殺した原因とか、恨み辛みを聞かされておもしろいわけないだろう?
 ――精神的ににフォローする人間がいればかなり可能性は低くなるが」
「じゃあ、御巫くんが面倒見てくれればいいじゃない!」
 突如、怜と義郎の会話に声が割り込んだ。
 二人が驚いてそちらを見ると、怜の方をビシリ、と指さした瑞穂が立っていた。その後ろには瑞穂とは対照的に、いつもと変わらず、のほほんとした表情の雅衣が立っている。
 突然の登場にしばし呆然としていた怜と義郎だったが、怜の方が信じられないという表情で言った。
「一ノ瀬さん……聞いていましたか?」
「ええ、ええ。教室の会話の方も、しっかりと聞かせていただきました」
 怜は確認するように義郎を見るが、義郎は軽く首を振って答えた。
「今度はマジか?」
「ああ、気付いていたら驚かんさ」
 それを聞いて、怜は再び瑞穂に視線を向けた。
「一ノ瀬さん、俺はともかく、義郎にも気付かれないなんて、すごいを通り越して、一種、異様ですよ? ――風御門さんはともかくとしても」
 クラスメイトで知っている人はそういないが、義郎は空手や合気道などいくつかの格闘技をかなりのレベルで習得している。格闘技オタクと言っても、本人以外からは反論は出ないだろう。ただ、一般的なオタクと違うのはそのいずれもが高いレベルにあることだが。
 だが、瑞穂は自信満々に言い切った。
「本気になった女の子を馬鹿にしないで」
 全然関係ない。そんなもので出し抜かれては、まじめに修行をしてきた義郎がかわいそうである。
「第一、なんで雅衣はともかくなのよ。こんなにぼーっとしてる子なんて他にいないよ?」
「……瑞穂、それはひどいよ」
 雅衣の小声の抗議は誰もに無視された。怜と義郎は顔を見合わせ、同時に瑞穂に向き直った。
「一ノ瀬さん、もしかして知らないんですか? 風御門家と言えば、超歴史のある護身術の宗家ですよ? たしか、師範家の家系だとか」
「えっ? 本当?」
 瑞穂の驚いたような視線を、雅衣は相変わらずの表情で受けとめた。
「でも、それはお爺様のことなの。だから、私は関係なし、ですね」
「――宗家が唯一勝てないのが、孫娘である、という噂も聞いたのですが?」
 確認するように聞いた怜に、雅衣はやっぱりいつものように、のんびりとした口調で答えた。
「昔は厳しかったけど、最近は手加減してくれてるの。お爺様もお年を召されて、やさしくなったから」
 それは絶対に違う。雅衣の祖父に会ったことのある、怜と義郎の二人は同時に心中で断言し、視線を交わしあった。そして、一瞬のうちに二人の間で合意が成《な》された。曰く――雅衣だけは絶対に怒らせまい。
「むぅ、なんか二人とも変……」
 そんな二人を交互に見て、雅衣が頬を膨らますが、二人そろって視線を泳がせ、コメントを避けた。
「へえ、実は雅衣ってすごかったんだ。お金持ちなのは知ってたけど、護身術の宗家だったなんて」
「すごいのは私じゃないの。お爺様や両親がどうあれ、私は私でしょ?」
 少し困ったような表情の雅衣を見て瑞穂は微笑むと頭に手を置き、ぐりぐりと撫《な》でた。
「うん、そうよね。このほんわか、ぼーっとしたのが雅衣であって、それが変わる訳じゃないものね」
「うー、なんか私、馬鹿にされてる?」
 ちょっと複雑そうな表情の雅衣だったが、すぐに、にっこり笑って言った。
「でも、瑞穂って積極的だったんだ。面倒見てね、一生付いていくわ $\heartsuit$、だなんて」
「い、言ってないって、そんなこと」
「そうだったかしら? でも、大意は違わないよね?」
「いえ、いえ、違いますよ、風御門さん」
 義郎の出した助け船に、うんうん、とうなずく瑞穂だが、続いた言葉を聞いて動きを止めた。
「一ノ瀬さんは『御巫くん、私のこと面倒見てね $\heartsuit$』って言ったんですよ」
 台詞の途中で怜から飛んできた怜からの蹴りを笑顔で避けつつ、義郎が断言した。
 言っている内容はほぼ正しいだけに、雅衣への援護射撃かどうか微妙なところだが、少なくとも瑞穂への助け船ではなかったようだ。
 瑞穂は何か言いたそうに、しばし口をパクパクとさせていたが、結局は無視することに決めたようだ。
「私がこうなったのも御巫くんのせいなんだから、責任とってよね」
「責任をとるって……いつの間にそこまで進んじゃったの?」
 まあ、というふうに口元に手を当てて声を上げた雅衣に、瑞穂は押し殺した怒りを込めて視線を向けた。
「だから、雅衣、中途半端に言葉を抜き出して、妙なことを言うのは止めてよ。いいかげんにしないと怒るよ?」
「……ごめんなさい。もう言わないから、怒らないで、ね?]
「いや、それ以前に、一ノ瀬さん、さっきの台詞だけ聞くと、ほとんどプロポーズの――」
 ひたすら謝りだした雅衣を尻目に言いさした義郎だが、瑞穂の視線を向けられるとあっさりとその眼力に負けて、すぐさま口を閉じる。
「とにかく、私が変な物が見えるようになったのは御巫くんのせいなんだから!」
「私の……?」
「そうよ。忘れもしない一週間前、本屋の前の歩道橋で、御巫くん、何か見てたでしょ」
「……ええ」
「おかしいとは思ったのよ。何もなかったはずなのに、瞬きしたらそこに人が立っているんだもの」
 腕を組んで、大きくうんうん、とうなずく。冷静に考えると、客観的には結構恥ずかしい台詞を言っていたことに気づいたのか、僅かに頬が赤い。妙にオーバーアクションなのは照れ隠しなのだろうか。
「だから私に、一ノ瀬さんの面倒を見ろと?」
「そうよ」
「なにか、理論の飛躍を感じるのは俺だけか?」
 怜は同意を求めるように義郎を見るが、視線を左右に走らせた義郎の返答は無情だった。
「お前だけのようだな」
「くっ……。もうお前なぞ信用せん」
「あのな、怜、一つ良い言葉を教えてやろう」
 義郎は神妙な顔をして怜の肩をポンポンと叩くと、言葉を繋いだ。
「長いものには巻かれろ。――この状態で、俺がお前の言葉に同意できると思うか?」
「同意してこその親友だろう?」
「親友は否定せんが、俺の身の安全のためだ、あきらめろ。……つまり、こういうことですよね? 怜がそのときそれを見ていなかったら、一ノ瀬さんがそこを見ることもなく、そこに何かがいる可能性を考えることもなかった、と」
「そうよ」
 堂々と胸を張り、なんら臆面もなく肯定する瑞穂。
 なにか苦い物でも飲まされたみたいに仏頂面の怜と、挑みかかるような瑞穂を見比べていた義郎が、こらえきれなくなったのか突然笑い出した。
「……笑い事じゃない、義郎」
「だって、なあ? しかし、噂には聞いていたけど、一ノ瀬さん、案外アクティブな性格なんだね?」
「別に言葉を飾らなくても良いわよ、古川くん。無茶とか、強引とか、傍若無人とか思ってるでしょ?」
 瑞穂は開き直ったようにそう言ったが、義郎は笑いながら否定した。
「いやいや。悪くないねぇ、そういう性格。――怜にはそれくらいの方が良いよ」
「どういう意味だ」
「言葉通りだよ。面倒見てやれよ。こうなった以上は、な」
「こうなった、か。少々作為的なものを感じるが……ところで一ノ瀬さん、一つ聞いても良いですか?」
「セクハラ的質問じゃなければね。スリーサイズ、体重、年齢なんかは絶対不可よ?」
「――いや、年齢は聞かなくても解ると思いますが。そもそもそれらの事なんて知りたいとも思いませんし」
「むう。なんか失礼ね」
 聞くなと言っておきながらも、少し不満そうに頬を膨らます瑞穂。困ったような顔をした怜だが、賢明にもそれには触れず、質問を口にした。
「一ノ瀬さん、五時間目はどうしていたんですか? 帰ってきませんでしたよね?」
「とりあえず怜が保健室に行った、とか言っておいたけど」
「えっっ、その、うん、屋上で悩んでいたのよ、これからどうするか」
 ちょっと口ごもった瑞穂だが、どこか自分に言い聞かせるようにうなずきながら答えた。しかし、それを聞いて不思議そうな顔をした者がいる。
「あれ? 確かあのとき瑞穂は――」
「だまれ」
 何か言おうとした雅衣の頭に、軽く手刀をたたき込んで黙らせる瑞穂。それを見て、怜と義郎は不審そうな顔をして、瑞穂の顔を見た。
「本当ですか?」
「ホント、ホント、深刻だったんだから」
「そうですか。それは悪かったですね」怜は全然悪く思ってなさそうな口調で謝り、何気なく言葉を繋げた。「――ところで、一ノ瀬さん、口元に涎《よだれ》の跡がついてますよ」
「えっ」
 瑞穂は慌てて口元《くちもと》に手をやり、そのままの姿勢で凍りついた。
「大丈夫よ、瑞穂。私がちゃんと拭いておいたから」
「そう言うことは早く言ってよ――って、それ以前に私、涎なんか垂らさないわよ!」
 今度はかなり強く瑞穂に頭を叩《はた》かれ、雅衣は恨めしそうに瑞穂をにらんだ。
「う~、軽い冗談だったのに……」
「悪質な冗談よ」
 そういって気まずそうに視線を逸らす瑞穂を見て、怜と義郎は顔を見合わせて苦笑を漏らした。
「一ノ瀬さん、案外、大雑把――いやいや、おおらかな性格なんですね?」
「そーよ、悪い? 悩んで解らないことについて悩むなんて時間の無駄じゃない!」
「いいえ、悪くないと思いますよ。――怜、一ノ瀬さんの性格なら問題ないだろう? それを確かめるために聞いたんじゃないのか? 俺もフォローするから、さ」
 そっぽを向いてしばらく黙っていた怜だが、やがて呟くように言った。
「……後悔、するなよ」
 それはどちらに対して言った言葉だったか。
 二人は笑いながら頷いた。